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香港愛は永く深く

香港愛は永く深く

まだ返還前の95年、日本航空機で僕は、まだ啓徳空港が現役の夜の香港に降り立った。
そして何より、初めての恋人は「香港人」だったのだ。後にも先にも日本人を含めアジア人の恋人はその人だけだ。まだ自分が大学生のころ。プリンスエドワードに住むその人とは香港島の眺めのいいレストランで食事をしたり、マカオのプチホテルに泊まったりと、それは、それは、とても濃厚な、夢のような生活をしていた。その人は、あるテレビ局のレポーターだった。職場にも遊びに行き、マイクテストなどまでさせてもらったのもいい思い出だ。記憶ではホンハムの近くだった気がする。

思えば、さかのぼって、成田空港がまだできたばかりのころだと思う。まだ4歳くらい。
父親がヨーロッパ出張から、当時まだ日本を経由していた、あのパンナムの世界一周便で帰ってくるときに、成田空港に迎えに行き、そこの掲示板に地球儀のあのロゴとともにPM002 HONG KONGとあったのをなんとなく覚えている。世界一周便も香港を経由していたのだろう。

そんな記憶も薄らぎつつあるころに、会社から「香港事務所」への駐在辞令が出た。「香港」という単語の響きに、久しぶりに上の二つの記憶がよみがえった。その前にも、なんの思い入れもなく気軽な海外旅行で一度スペイン人の友人と来たり、インドへの出張の帰りに寄ったりと香港自体には何度か来ていたが、まさか、自分が香港に住むことになるとは思わなかった。

駐在が決まり、海外慣れしているという理由で、赴任初日にいきなりマンションに行き、生活開始。その日、もう蒸し暑い5月初旬だったが、その暑さに「こんなに蒸し暑いところで暮らすのか」と気が重くなったのを思い出した。香港だから仕方がないが、狭い、日本以上のウサギ小屋マンションにショックを受け(そのくせ東京よりはるかに高い家賃。それなのに築20年以上の古めのマンションだった)、その前の赴任地のインドで、だだっ広いマンションに運転手つきで掃除婦や門番、洗濯係、コックまでついた生活に慣れていた自分には夢をも覚める香港生活の始まりだった。夜までに家電製品やお風呂周りの製品を自力で買い揃え、うるさくて強力な冷房をつけっぱなしにして、疲れて深い眠りについたのを覚えている。

仕事に慣れて、生活に慣れてきて、広東語こそ話せないが、英語と北京語で仕事をこなす日本人たった一人の環境にも慣れた。ぶっきらぼうだが、こちらが片言の広東語で話せばにっこりするクリーニング屋のおばちゃん。通いだしたら3回目から向こうから話しかけるようになった茶餐廳のお姉さん。おはよう、と広東語でいったら最初驚いていたけど、毎朝にっこりおはようと返してくれるようになった会社のビルの清掃のおばあさん。みんな決して上流階級でないけど、僕の以前もっていた「クールで他人に無関心で人情味のない」香港人像をきれいに覆してくれた。

前任者がまったくローカルのごはんを食べない人だったので、ローカルのごはんを食べて満足し、普通にスタッフと外食している僕に、香港人スタッフも親近感を抱いてくれたようで、素顔の香港をみせてくれだすようになった。

駐在員の宿命で、いつまでもこの街にとどまるわけではない。それこそ、国際的な金融・物流の中心である香港は、モノやカネだけでなく、ヒトだって、「ここに来て、そして他に向かう」人が大半だ。香港自体が「借り物の時間」をすごしてきたこの200年、我々外国人も「借り物の時間」をこのアジアの中心にある、時に猥雑で、時にスタイリッシュな「East Meets West」を地でいく大都市で過ごしているのだ。

いつか離れる時がくるのだろう。でもきっとまた戻ってくる気がする。その時までに僕は香港と約束する。きっと広東語、うまくなる。頑張って身につけようと、一人静かに決心をしている。その時はまた、僕を自然に迎えてほしい。それだけが僕の香港への「お願い」だ。

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この記事を書いたライターさん : BOJO

BOJO
縁は人と人だけでなく、人と国にもある、そんなことを実感している駐在員です。

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