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分岐点~時には分かれ道へ~

馬鞍山線
忙しく時を刻み続ける街、香港。
皆が何かに追われている街。迫りくる「なにか」に。
「明日の締め切り」、「来週の出張」、「夏休みの家族旅行計画」、「来年の事業計画」、そして、見通しがつきにくい香港自体の「行く末」。

自分でスイッチを切らないと、この街は、「やすらぎ」を与えてくれず、心をリセットすることは難しい。香港人だけでなく、ここで働く外国人の我々もそうだ。

幸いにも、香港は東京やニューヨークほど広大な切れ目のない都市圏はなく、シンガポールやマカオなどよりは規模があり、そこそこの数の「逃避先」もある、ある種恵まれた「程よい規模の」都会なのだ。

自分もたまに、リセットは必要で、それは前から周到に計画されるわけでなく、思いつきで実行されることが多い。「そうだ、ここで降りてみよう」「そうだ、ここの先に行ってみよう」「そうだ、この線、乗ったことないから、乗ってみよう」とMTRのコンパクトな地図をみながら「週末(時には夕方の退勤後)」に実行されるのだ。

ある日大圍の駅で、僕は、行き先表示の案内板を見上げた。
「烏溪沙」
魅惑的な名前だ。なんとなく存在は意識していた馬鞍山線だ。日が傾きだしたころ、僕は自分の乗るべき東鐵線のホームではなく、コンコースを進みこの馬鞍山線に向かった。

馬鞍山線

ホームには他のMTRより小さ目な車両で短い編成が待ち(日本の近畿車両製造)、僕は乗り込んだ。乗客の層が他と全く違う。中国へ戻る大陸人も、荃湾線の中環や港島線の金鐘あたりで乗ってくるエリート欧米人ビジネスマンや世界各国からの観光客も、ここにはいない。乗客は、ただただ香港で暮らし、香港とともに生きる生粋の香港人ばかり。

車窓は山並みが美しく間隔がまばらなマンションが建ち、穏やかな郊外を形成している。

馬鞍山線

終点の烏溪沙で降りてみる。まだまだ開発中のその終点は新しい建物のにおいがするモールを中心に今、まさに発展しようとしている。ここもまたまぎれもない我々の愛する香港の一部なのだ。ホームの延伸工事が各駅で進んでいたので、急速に人口が増えて、連結車両も増えていくのだろう。

馬鞍山線

ここでは、昨年からのデモの喧騒や中国本土との軋轢などまったく無縁のような、静かで平和な郊外の生活を送る香港の普通の人々が暮らしている。

馬鞍山線

香港の行く末をそれなりに案じつつも、日々の穏やかな暮らしさえ守られたらそれでいいと願う普通のミドルクラスの人々がすむ街。華やかさも猥雑さもない、清潔な穏やかな暮らし。こういう香港のささやかな幸せを守る人々が、いつまでも幸せに暮らせる香港であってほしいと切に思う。外国人である我々が、香港の政治や中国への反発を熱く語ったところで、それは、まったく無責任な話だ。香港の行く末を決め、その運命に従う大多数の香港人自身の安寧を、静かに祈るのが我々の責務のような気がする。そんなことを気づかせてくれた、郊外への気まぐれなサイドトリップだった。

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この記事を書いたライターさん : BOJO

BOJO
縁は人と人だけでなく、人と国にもある、そんなことを実感している駐在員です。

3 コメント

  1. Shin-EI

    1978年の秋、学校行事で烏溪沙青年新村に行ったことがあります。
    今は地下鉄で行けるんですね。当時はバスと船を乗り継いで行きました。
    野良牛が沢山いて驚いたのを覚えています。

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