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北角の街市にて

日本だったら青果も肉もスーパーで入手出来ますが、香港で暮らす以上、街市に行かず全部スーパーで済ますのはちょっと無理がありますよね。私が住んでいた37年前当時のマンションは山の上にあり、一番近くの街市に行くのにも足が必要でした。

香港人住民の中にはメイドに買ってきてもらう人もいたようですが、うちは日本人家庭ですから広東語が不自由で、メイドに任せたら頼んだものと違うものを買ってくる恐れもあります。キュウリの絵を描いて見せたらヘチマを買ってこられたという話もあるくらいです。

実は住んでいたマンションには北角の街市行きのミニバスがありました。あらかじめ数字の書かれた紙のチケットを買っておき、バスに乗るたびに数字を塗りつぶすというシステムです。近隣のマンションにもミニバスを所有しているところがあったので、おそらく同じように北角の街市へと往復していたのだろうと思います。

私が北角の街市に行くときは必ず母に連れられてこのミニバスに乗って行きました。炮台山道をするすると下り、英皇道を越えて大強街を右折して渣華道に入り、北角道で降りて春秧街まで歩くというルートです。

さて、春秧街と言えば店とトラムの距離が近いことで有名ですが、どのくらい近いかというと…

北角

このくらい。

ちょっと危ないです。

初めて街市に足を踏み入れたときはその強烈な臭いに気分が悪くなりそうでした。

特に肉屋の臭いがすごい。店の天井に羽の長さが70-80cmはありそうな三枚羽のシーリングファンが備えられていてぶんぶん回っているのですが、あまり涼しいわけではなく、臭いを拡散しているだけにしか感じられませんでした。

北角

こんなのです。

まだ残っているお店もあるかな?

屠殺は屠殺場で済ませるのでしょうが、解体されたばかりの骨のついた肉が大まかに分けられただけで作業台の上に横たわり、店員が巨大な包丁でそれを殴るように切り分けているのは小学生にとってはちょっと怖くも思えました。壁に渡した竿からは肉がいくつもぶら下がっているし…。

生きた鶏が籠の中に詰められているのにも驚きました。昔は自分で絞める人が多かったんですね。当然自宅では無理で、切り身の肉を買ってました。

冷凍の肉屋もありましたがあまりお客の入りは良くないようでした。そりゃそうだ、新鮮な肉がそこらへんあちこちに売っているのに、わざわざ冷凍の肉を買う人が多いわけはない。

面白かったのは蛇屋。口の狭い籠の中に何匹も入っている中で一本ヒョイと掴み出して、皮を剥ぎ切り身にするのです。ナイフは独特で、Cの字形の刃に取っ手がついたような形状をしていました。そのナイフで蛇の口をこじ開けると、そのまま一気に尻尾の先までファスナーでも開けるように切ってしまいます。まあなんともよく切れるナイフでした。

野菜は大体同じ店で買っていたようなのですが、買うときにひとつだけ困ったことがありまして、当時は値札が「〡 〢 〣 〤 〥 〦 〧 〨 〩 十」 、いわゆる蘇州数字(蘇州號碼)で書かれていたんです。最近はすっかり減ってしまったようですが、当時の値札は完全に蘇州数字の天下で、これが母も私もまったく読めないんですね。

出典:Wikipedia

出典:Wikipedia

読めないよ(泣)

当然「幾多錢?」と聞くことになるのですが、読めないからといってボラれるようなことはほとんどなかったようです。理由はわかりませんが、日本人はしつこく値切るということをせず、言い値を吹っかけられると「あそこは高い」と二度と買いに来ないことを知っていたからかも知れません。これが香港人なら言い値が高かろうが安かろうが、どこの店でも値切り倒しますからね。

街市には大排檔を始め大概の食べ物屋があり、常に誰かが何かを食べている場所でもあります。お粥でも麺類でも、皆うまそうに食べているんですが、残念なことに一度も食べさせてもらえませんでした。衛生上の問題と、「ご飯は家で作って食べるから」ということが理由だったようですが、あれは一度くらい食べておきたかった。

ただ、小食みたいなものはよく買って帰りました。おいしい包子屋はここ春秧街が一番多かったですね。香港で包子を買い食いするのを楽しみにしているリピーターも多かろうと思いますが、ここと他で買う包子とはどこか違うんです。メイド曰く上海風とのことでした。さすが包子の本場だけのことはあります。

当時上海系の人が多かったことは後で知りました。

もしかしたらB級グルメではここが一番だったかもしれません。最近はどうなんでしょうか?

ケーキ屋もあったんですが、ショーケースに並ぶケーキはなぜかロールケーキばかり。それが合成着色料をじゃぶじゃぶ使っているような不自然な黄色で、食欲を全然そそらないんです。それ以外ではババロアみたいなぷにぷにしたものがほとんどでした。サイズだけはデコレーションケーキ並みの、その大きなババロアを買って帰ったことがあるのですが、熱と振動に弱いのか、家に着いた時点でびろ~んと伸びてしまっていました。あれはよほど街市の近所に住んでいる人でないと食べられないかもしれません。

最近のケーキ屋事情に詳しくないのですが、あのババロアは今でもあるのでしょうか?残念ながら味の記憶がないのです(ってことは大して美味しくなかった?)。

スイーツ(とは言えないかも?)は仙草ゼリー屋もよく見かけました。お店は全て大排檔で、かなり大きな塊をその場で包丁で切って売っていましたが、キンキンに冷えているらしく湯気のようなものが見えました。

見た目でゼリーだと分かるのですが、なにしろ真っ黒なので味が想像出来なくてあまり食べたいとは思いませんでした。これも後悔のひとつ。

ところで、買い物中に日本では絶対ありえない驚きの光景を目にしたことがあります。

上下で同じ柄の服を着た女性が買い物をしていたのですが、よく見るとそれは…パジャマ

日本でも早朝のゴミ出しで寝巻きにサンダルのおばさんを見たことがありますが、夕方にパジャマ姿で街市に買い物かよ!

財布はどこにしまうんだろう…?鍵は…?パジャマのポケットなんて用を成さないのに…?用心深い香港人が外から目立つところにお金をしまうわけはないし…?

さすがにパジャマ姿の買い物客を見たのは一回きりでした。

街市に限らず、昔(60年代くらい)までは結構寝巻きで出歩く人がいたようで、当時撮影されたこんな写真もあります。

 

北角

出典:LIFE

お出かけですか?

どこ行くの?

こんな格好でアパートのG floorに下りてきて新聞を買ったり、そのまま飲茶に行ってしまう人もいたんですね。今の香港では考えられないです。

さてこちら、短いですが春秧街のちょっとした歴史がわかる動画リンク(動新聞)。

変わらないでいてほしいという気持ちは、香港人もわれわれ外国人も同じですが、現実は厳しいですね。この光景があと何年見られるか全くわかりません。これは私見ですが、香港上海銀行と中国銀行のビルが相次いで建て替えられたあたりから、香港全体の変化のスピードが上がったような気がします。

旅行というものはお金が掛かるものですし、日本の会社は有給休暇が取りづらいという先進国とは思えない事情もありますから、スケジュールが合わずついつい先延ばしにしがちです。

しかし、春秧街のように世界遺産でもなんでもない、観光資源としては重要視されないような商業エリアは、そこで暮らす人々の事情に常に左右され、変化し続けています。

今日まで健在だった老舗は、明日閉店してしまうかもしれない。

トラムだって、路線廃止になるかもしれない。

そこにあった日常が、突然消失する。決して取り戻せない。

北角の街市「春秧街」にまだ行ったことのない読者の方は、出来るだけ早く訪れてみることをお薦めします。

その時は是非トラムで。叮叮!

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この記事を書いたライターさん : Shin-EI

Shin-EI
昔むかし香港で暮らした経験がある日本人。乗り物とCDとカセットテープが大好き。

2 コメント

  1. 初めて春秧街に行ったのが、まだ一介の旅行者だった89年だったか90年だか忘れましたが、それくらいの時期の新暦大晦日の夕方。農暦新年至上主義の香港ですが、そこはやはり大晦日の夕方。すさまじい買い物客の数で、電車の二階の先頭に居たボクとツレは大興奮でした。衝撃的とはあの光景のことだと思います。それほどでした。

    パジャマ族、ほんとに見かけなくなりました。昔のだらしない(失礼!w)香港人が好きなんですがね。同じ「寝巻」でも、Tシャツ&短パンでは、まったく妙味に欠けるのであります…。

    • Shin-EI

      いつもありがとうございます!

      大晦日に春秧街は想像を絶します。日本人小学生にはハードル高くて行けませんでした。

      90年代あたりまでの街市では小さい子がよくパジャマでうろうろしていましたが、さすがに大人は見かけなかったです。

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