出来たてCha Siu Baau
ホーム » Shin-EI » 身分証を作りなさい!

身分証を作りなさい!

かつて私は、なーんにも考えずにスクールバスで日本人学校へ通う、お気楽な日々を過ごしておりました。
そんな小6のある暑い日、担任の先生から突然こんな言葉が。

「今度、君たちに身分証を作ってもらうことになりました。」

身分証?
そういえば、最近テレビCMに「身分証(身份證明書)を携帯するように」という香港政庁のPRを良く見かけるなぁ、と思っていたんです。

でもなんで身分証?
パスポートがあるのに?
しかも小学生なのに?

当時私が持っていたのは濃紺色の数次旅券でした。外国人にとって唯一とも言える身分証明はパスポートですから、水戸黄門の印籠を持っているような気がしていました。
しかし、現実的に考えるとパスポートを持って外出することはまずないのです。

ちなみに昔は親子パスポートというものがありまして、両親のどちらかが未成年の子供と一緒に写真に写っていればパスポートは一冊で済むという、ちょっと変わった制度でした。その頃未成年者だけで海外旅行なんて有り得なかったので、それでも良かったんですね。しかしパスポートを身分証明用に持ち歩くとなると、親子で別行動は出来ないことになってしまいます。
私は親子パスポートにしなかったのですが、クラスメイトには親子パスポートの人もちらほらといました。パスポートの説明書きには「併記する子」と書かれていました。

ほどなくして学校から自宅に連絡が行き、父の仕事が空いていて学校も早く終わった日に北角の政府合署まで出向き、身分証を作って来ました。

名前を書かされ、写真を撮られ、指紋の押捺も済ませました。押捺の瞬間にこれでもう悪いことは出来ないな、と思ったんですが別にそれまで何もやらかしていません(笑)。まぁいい気はしませんでしたが。
押捺は、3cm × 20cmくらいの木の板に薄くインクが塗ってあってそれに指を押し付けるのですが、指をぎゅっと押し付けすぎてしまい、職員に「no, no」と言われてしまった…。普通はインクスタンプ台を使うものだと思っていたし、指紋押捺なんてやったことないですよ、子供なんだから。
指に付いたインクは、なんだか木綿のしつけ糸を束ねたようななんとも形容し難い代物で拭き取るのですが、あまり綺麗にはなりませんでした。

一通りの作業が済んで、出来上がって来たのがコレです。

ID 表
ID 裏

背が低い。(今も…)

これで晴れて香港での身分を証明出来る事と相成りました。

しかし…、
結局、外出時にコレを持ち歩くことはほとんどありませんでした!
本当は持っていないと罰金なんですが、いったい何のために作ったんでしょうねぇ。

ところで、なぜ急に身分証を作るよう要求されたのか当時は分からなかったのですが、ちょうど抵塁政策の終了時期と重なることに最近になって気がつきました。
抵塁政策というのは、不法入境者でも香港の政府合署にたどり着けば、申請するだけで市民権が取れるという不思議な制度です。ただ、1974年からは「界限街より南にある政府合署」に限るということになりました。界限街より北の政府合署ではダメで、本国に強制送還させられてしまいます。

FBPHOTO
出典 : 香港舊照片討論區
(注:この写真のソースは「香港舊照片討論區」ですが、おそらく歴史関係の書物からのコピーです。ほかのソースで見かけた覚えもあります。よって本来の著作権者は別に存在すると思います。)

香港にやってくる不法入境者のほとんどが中国広東省からです。浮き袋を抱えて何時間も泳いで香港にたどりつく人が多かったのですが、強制送還されると労働改造所に送られたりしてタダでは済まないので彼らも必死です。

寝床も仕事も何の保証もなく、現金の持ち合わせすらないのに、香港まで危険を冒してでも行けば、友達(友達の友達を含む)でも親戚(遠縁の親戚を含む)でも頼れるものは何でも頼って何とかしてしまう。
こんな人たちが「九龍城寨」あたりに転がり込んで、自立すると今度は別の不法入境者を受け入れたんですね。そしてまた別の不法入境者が…といった具合。
こんなエンドレスな移民天国状態がいつまでも続けられるはずもなく、1980年に抵塁政策は終了となりました。
つまり、私が身分証を作らされたのがちょうどこの頃だったんですね。

抵塁政策は終わりましたが、近年香港への中国人流入は増加の一途です。香港人に田舎者扱いされている中国人ですが、彼らを田舎者扱いする香港人は比較的若い人たちではなかろうか?と思っています。
仮に1980年生まれなら今年で35歳。物心がついてから30年以上経ちますが、香港人はますます洗練されてきました。それに比べて中国は、国際感覚やマナーについては香港との差は広がる一方。確かに物質的金銭的には30年前と比較にならないほどリッチにはなりましたが、それもここ10年くらいの話です。失礼を承知で言えばただの成金にしか見えません。
香港人の意識の変化は常に進み続け、そしてそれに対する中国人の意識がいかに遅々として進まないのかがよくわかります。
でも、その35歳に満たない小洒落た香港人は、抵塁政策によって命からがら香港にたどり着いた中国人の子供かもしれない…。親からすれば、そして私からも言わせてもらえるなら、30年前の新界なんて中国と大差なかったんですけどねぇ。そんなに怒るなよって思っちゃいます。

日本でも、中国人観光客のマナーの悪さが常々糾弾されていますが、そうやって目を吊り上げて怒っている若い人には、もしもし、それは30年前の日本人観光客の姿ですよって指摘してあげたくなります。
世代のギャップはどこにでもあるのです。

Cha Siu Baauからのお知らせ・更新情報は Facebook/Twitterでキャッチ!
 

(Visited 675 times, 1 visits today)

この記事を書いたライターさん : Shin-EI

Shin-EI
昔むかし香港で暮らした経験がある日本人。乗り物とCDとカセットテープが大好き。

5 コメント

  1. 前半はおぼろげな知識としてしか知らなかったことなので、なるほどーと感心して読みました。そして後半『香港にやってくる不法入境者の・・・』以降はすごーく共感しながら読みました。特に最後の4行なんて。ちょっと前の日本、場末感溢れる場所なんて多種多様な汚物だらけでありました(汚くてごめんなさい)。それを思い出せばもう、どこにでも行けちゃう自分の年齢が嬉しいような哀しいような。

    • Shin-EI

      ありがとうございます。
      「町がきれい」とほめられる日本ですが、確かに昔はかなり汚い場所もありましたね。海にしても、川にしても、町にしても。今でも未明の盛り場などはきれいとは言い難いと思います。
      海外旅行の自由化は1964年だそうですから、もう50年ということになります。農協ツアーで顰蹙を買った世代は鬼籍に入られた方も増え、バブルを背景としたブランド買いあさりでやっぱり顰蹙を買った世代もすっかり落ち着きました。
      日本人がスマートに旅行するようになったのは、バブル期以降ではないかと思います。30年かかりましたね。
      大陸の中国人もいつかスマートに旅行する日が来るでしょう。ただ、人口が日本の10倍というところが気になります。300年かかったりして。

  2. この様式だったかどうかは、数年後に深せんでデーバッグを開けられ、財布だけを盗まれる(パスポートは無事ww)という奇怪なモノ盗りに遭遇したため、実物が残っていないからなんとも言えませんが、私が最初に作ったIDも、こうした「パウチ仕様」でした(笑)。
    「ビデオ屋の会員証かい!」みたいな。サインも気取って、ひらがな書きの名字をグニャグニャにしたようなのを書いたんですが、後々、このグニャグニャがなかなか同じものが書けなくて大変苦労することになってしまいました(笑)。

    • Shin-EI

      パスポート無事で良かったですね。あれを盗られるのは本当にシャレになりません。
      あのIDの紙には、写真では見づらいですが髪の毛のような細い線が所々入っています。最初はゴミかほこりかと思ったのですが、良く見ると色がついていて印刷っぽいんです。偽造防止でしょうか?謎の線です。

  3. 30年前の日本人観光客の姿って若い人に指摘してもねえ、
    今の若い人は三十年前の日本人じゃないでしょうに。
    それに30年前の日本人観光客の姿がそうですからって、
    今の中国人観光客のマナーの悪さが正当化することができません。

コメントをする

email addressは表示されません。 必須記入項目 *

*