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その道の名は日本の名

その道の名は日本の名

(Photo : 秋海棠民國史地 Glimpses of Modern China)

これまで3回にわたって道路名の考察を行ってきましたが、今回がラスト。

さて、第二次大戦中は日本が香港を占領していたことは知られていますが、香港の主要な道路には、一時日本の道路名がついていたことがありました。
カバー写真は当時の香港総督磯谷廉介名で発表された地名及び道路名変更の公示です。
微妙に見づらいと思いますので書き出しました。
当時の道路の写真があれば良かったんですが、ネット上では見つかりませんでした。まあ当然か。

 

道路名

干諾道中 → 中住吉通

干諾道西 → 西住吉通

告士打道 → 東住吉通

皇后大道中 → 中明治通

皇后大道東(現皇后大道東及び金鐘道) → 東明治通

皇后大道西 → 西明治通

德輔道中 → 東昭和通

德輔道西 → 西昭和通

堅尼地道 → 東大正通

上亞厘道(現上亞厘畢道) → 大正通(東段)

堅道 → 中大正通(西段)

般含道(現般咸道) → 西大正通

東海旁(現軒尼詩道) → 八幡通

怡和街 → 春日通

高士威道 → 氷川通

英皇道 → 豐國通

干讀道(現干德道) → 出雲通

寶雲道 → 霧島通

彌敦道 → 香取通

太子道 → 鹿島通

 

地名

太平山 → 香ヶ峯

皇囿(現京士柏) → 九龍競技塲

大鐘樓(現畢打街一帯) → 昭和廣塲

快活谷(跑馬地) → 竹葉峽

兵頭花園(現香港動植物公園) → 大正公園

淺水灣 → 綠ヶ濱

堅尼地域 → 山王台

香港仔 → 元香港

 

さすがに香港中の道路名や地名を日本風の名前に変えることは出来なかったようですが、なるほど、明治通り、大正通り、昭和通りなどいかにもって感じの道路名が割り振られました。当時の香港住民がこれを歓迎したかといえば、……しなかったでしょうねぇ。ブーイングの嵐が聞こえてきそうです。
それに道路名以外に地名もいろいろ変えられています。でも香港仔→元香港ってどうよ。センスないな。

この公示の写真ではトリミングの関係で切れてしまっているのですが、備考として

干諾道中、干諾道西、告士打道 → 海岸通

皇后大道中、皇后大道東、皇后大道西 → 中央大通

德輔道中、德輔道西 → 電車通

堅尼地道、上亞厘道、堅道、般含道 → 山手通

東海旁、怡和街、高士威道 → 電車通

英皇道、干讀道、寶雲道 → 山腹通

ということも書いてありますし、公示には書かれていませんが行政区画としても

中環 → 中區

上環 → 西區

西營盤 → 水城區

石塘咀 → 藏前區

堅尼地城 → 山王區

灣仔 → 東區

鵝頸 → 春日區

跑馬地 → 竹葉區

銅鑼灣 → 銅鑼灣區

筲箕灣及北角 → 筲箕灣區

香港仔及薄扶林 → 元港區

赤柱及石澳 → 赤柱區

尖沙咀 → 湊區

紅磡 → 山下區

油麻地 → 香取區

旺角 → 大角區

深水埗 → 青山區

九龍塘 → 鹿島區

九龍城 → 元區

九龍東部 → 啓德區

荃灣 → 荃灣區

沙田 → 沙田區

大埔 → 大埔區

上水及粉嶺 → 上水區

新界北 → 新田區

沙頭角 → 沙角區

元朗及屯門 → 元朗區

西貢 → 西貢區

という名前に変えられました。
新界は大して重要視されていないのか、ほとんど変わっていませんね。
深水埗が青山ってことは、昔の青山はあんな感じだったのでしょうか?

台湾にも日本統治時代がありますので、台湾中に日本の地名が命名されましたが、あまり反発を食らわなかったと見えて今でも多数残されています。香港とはえらい違いです。台湾統治は長期的視野に立って穏健に行われたんだろうと想像出来ます。さらに戦後国民党が支配するようになってからは、今度は大陸各地の地名をいくつもあてがったので、今の台湾の道路名と地名はなかなかすごい事になっています。
ひるがえって当時の香港総督である磯谷廉介の評価は、残念ながら歴代の総督の中でも最悪のレベルです。名目上は欧米列強からアジア人を解放したことになっているのかもしれませんが、実態はイギリスより相当強権的で、日本人のイメージを大いに毀損したことは言うまでもありません。

さて、占領を契機に日本仔だの日本鬼子だの架仔だの蘿蔔頭だのと蔑称をつけられてしまった日本人ですが、時代を遡ると日本人のイメージは決して悪くないことが分かります。
先日、青山公路について面白い記述を見つけました。Wikipediaによりますと、青山公路は香港でもっとも距離の長い道路であり、屯門の青山に由来するというのが定説のようですが、こんな話もあるのです。

香港の「青山通り」に込めた香港市民の思い
https://www.nttdata-getronics.co.jp/csr/lits-cafe/sato/hong-kong2.html

この青山通りは、日本人の青山胤通(あおやまたねみち)医学博士の名前に由来していると聞いたので、さらに詳しく知りたいと思い、香港の西にある上環(シャンワン)の香港医学博物館に行って調べたほか、各方面の関係者にヒアリングなどを行った。その結果、香港のために日本人が命がけで取り組んだプロジェクトがあったことが分かった。日本人医師団が当時香港で流行していた伝染病を究明するため不眠不休で調査し、それがペストであることを突き止め対処法を発表したというものである。その裏には遺体解剖調査の過程で自らもペストに罹り、高熱で倒れ意識不明の危篤となり死線をさまよったという青山医師らの命がけの闘いがあった。香港のために、青山医師らが自らの危険を顧みず命を削って調査してくれたことに対する感謝の気持ちを込めて、香港人が120年前、当時まだ名もないこの香港の道路を「青山公路」と命名したことが分かった。

なぜそんな無名の田舎道に青山医師の名前がついたのかは少々疑問が残ります。処置に当たった病院は堅尼地域にあり、当然ながら今の青山醫院とはまったく無関係で、新界との関連性は薄そうです。ただ、この文章を書かれた方はプロのライターではないのですが(リンク先別ページ「世界の街角で見た文化・歴史」にプロフィール記載)、きちんと取材して書かれているので信憑性は高いと思います。

Wikipediaは裏付けの取れない資料が多いですが、ここにあげた青山医師の話が事実なら編集しなければなりませんね。
そもそもWikipediaは事象をざっくりと捉えるのには向いていますが、細かい部分での誤記が結構あります。以前の記事で総督の在任期間を調べた時も、辻褄の合わない明らかな間違いがありました。かといって私が正しい数字を知っているわけでもないので、放置するしかありませんでしたけど。

変えられた道路名は日本の敗戦により元の名前に戻されたのですが、香港はあと30年足らずで完全に中国政府の統治下に入ります。私が危惧しているのは、その時に再び道路名の改称があるのではないかということです。
皇后大道とか英皇道とか太子道とかイギリス由来、特に王室関係の人名が道路名になっているのは中国政府にとって目障りなのは想像に難くないですし、今でも有形無形のイギリス外しが進行中ですからねぇ。

香港にはすでに廣東道も北京道も上海街もありますけど、皇后大道は重慶南路とか中山北路とか長安東路になるんでしょうか?

それとも光復路とか建国路とか解放路みたいなコテコテの名前になってしまうんでしょうか?
これはイヤですねぇ。
反発食らいますよ。
中国政府は軍政下の日本と同じ轍を踏んでしまうのか?

Cha siu baauをご覧の中国政府関係者の方は、よーくお考えになって戴きたいものです。

 

おまけ。

マカオ 長崎街
(Photo : 港澳 雙城記 A tale of two Cities)

マカオも面白いかも。

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この記事を書いたライターさん : Shin-EI

Shin-EI
昔むかし香港で暮らした経験がある日本人。乗り物とCDとカセットテープが大好き。

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